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「平時不作為体制」は、あなたの会社にも棲んでいる

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2026-05-16
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## 草稿(iter 4 / 2026-05-16) # 「平時不作為体制」は、あなたの会社にも棲んでいる:作為のリスクを引き受ける覚悟

福島・コロナ・デジタル化を貫く一本の症候

2011年3月の福島第一原発事故。2020年からのコロナ対応。2010年代を通じたデジタル化遅延。これらは一見、別の領域の失敗事例である。だが、ジャーナリストの船橋洋一は近著『戦後敗戦』のなかで、これら全てを貫く一本の症候を抽出している――「作為のリスク」を恐れ、「不作為のリスク」を肥大化させる体制 だ[1]。

船橋はこれを「平時不作為体制」と命名した。「動いた結果起きうる損失・批判・責任追及」は計上されるが、「動かなかった結果積み上がる損失・機会喪失・国力低下」は会計されない。この非対称な意思決定構造が、戦後日本の7つの敗戦――石油危機、プラザ合意、半導体敗戦、湾岸戦争、ネット敗戦、尖閣ショック、福島原発――を貫いている。

問いたいのはシンプルな話だ。この症候は、いま日本企業の経営会議で同じ強度で作動している

戦後7敗戦を貫く非対称会計

『戦後敗戦』が7事例に見出した共通構造は、煎じ詰めれば一つの会計上の歪みに収斂する――日本の統治機構は「作為のリスク」だけを計上し、「不作為のリスク」を計上してこなかった。石油危機(1973-74)の路線対立、プラザ合意後(1985-)の構造改革先送り、半導体敗戦(1992-2001)の産業政策停止、湾岸戦争(1990-91)の意思決定遅延、ネット敗戦(1990年代-)のベンチャー育成判断回避、尖閣ショック(2010-12)の現状認識遅延、福島原発の「絶対安全神話」――いずれも誰かが悪意で失敗したわけではない。各時点で「合理的」と見える判断の累積が、不作為のコストを30年単位で積み上げた。

組織心理学の言葉に翻訳すれば、これは Kahneman & Tversky のプロスペクト理論で繰り返し示されてきた 損失回避バイアス(loss aversion)の制度化 である[2]。動いて失敗するときの心理的コストは、動かずに機会を逃すときの心理的コストの 約2倍 重く知覚される(β ≒ 2.25)[3]。

ここで補助線を1本引く必要がある。β=2.25 はそもそも 個人の意思決定文脈の効果量 であり、組織挙動への適用には翻訳が要る。Sibony・Lovallo・Kahneman(2019)が MIT Sloan Management Review で示したのは、個人レベルの認知バイアスが組織の意思決定プロセスに乗ったとき、希釈されるのではなく増幅される という反直観的な所見だ[4]。集団は個人より合理的にはならない。多数派同調・情報カスケード・責任分散 という三つのメカニズムが、損失回避バイアスを制度として固定化する。経営会議で「もう少し情報を集めてから判断しよう」が繰り返される構造的理由はここにある。個人の β=2.25 は、組織のプロセスを通過するとき、見送り判断の正当化装置へ変換される――これが平時不作為体制の心理基盤である。

通説の裏:慎重さは経営の半分の美徳である

ここから見える通説の裏は、3点ある。

第一に、「リスク回避は健全な経営である」という言説。これは「作為のリスク」だけを計上する半分の経営だ。決算書には載らないが、不作為の累積コスト は確実に存在する。船橋『戦後敗戦』第三章が詳述する 半導体敗戦 が、その典拠を提供する――1992年から2001年までの10年間、日本は半導体産業政策が「ほぼゼロ」、政府と企業が「没交渉の時代」だった、と元経済産業省幹部の福田秀敬が証言している[1, p.155]。この期間、悪意で動かなかった人物はいない。むしろ「行政指導の文書化」「補助金改革」など、各時点で合理的と見える微修正の累積が、戦略性・実効性・機動性を弱体化させた。同じ10年、サムスンとTSMCは作為のリスクを引き受け続け、垂直統合と水平統合の対照的なモデルを完成させた。日本電機がファウンドリ事業(トレセンティ、ASPLA、エルピーダメモリ)に乗り出した時点で、すでに10年遅れだった。同型の構造は国際的にも観察される。Lucas & Goh(1996/2009)が分析した Kodak は、1975年に世界初のデジタルカメラを社内開発しながら、フィルム事業を保護するため事業化を見送り続けた末に2012年に破綻した[5]。Iansiti & Lakhani(2020)が Competing in the Age of AI で扱った Microsoft の検索市場での出遅れも、「組織慣性による不作為」の典型例として位置づけられる[6]。

第二に、「平時の安定こそ強みである」という見方。船橋の指摘の核心は、平時こそ不作為リスクが累積する という時間軸の倒錯にある。有事には誰もが「動かなければならない」と気づくが、その時点ではすでに選択肢が限定されている。平時に作為のリスクを取らないという選択が、有事の選択肢を自ら狭める。

第三に、「日本企業の慎重さは美徳である」という自己像。慎重さそのものは悪ではない。だが慎重さが 「不作為のリスクを会計しない」 ことの言い訳として作動するなら、それは構造的失敗の温床に変質する。

『戦後敗戦』のなかで船橋が指摘する 唯一の反例 が、福島原発危機における財務省である[1]。電力会社・規制当局・他省庁が判断停止するなか、財務省だけが「東京電力の財務破綻シナリオ」に対する作為のリスクを取り、最終的にプライベートとパブリックを切り分けた処理を主導した。組織として「不作為のコスト」を計上する文化が、ここにはあった。

個人 × 組織の二層接続:作為のリスクを会計する

二層に翻訳しよう。

マネジャーレベルでは、自分の意思決定簿に 「動かなかった選択肢のコスト」 を書き出す習慣が要る。週次レビューで「今週、私は何を見送ったか」「見送ったために失った機会は何か」を可視化する。Klein(2007)が提唱した プレモータム が個人の意思決定品質を高めるのと同じ原理で、不作為のプレモータム(Klein のプレモータムを応用した造語)はマネジャーの認知バイアスを矯正する[7]。

組織レベルでは、不作為の KPI 化 が必要だ。意思決定の遅延件数、棚上げ案件の累積、決裁先送り回数を計測する仕組みを設計する。Beshears & Gino(2015)が HBR で論じた "behavioral leadership" の系譜は、まさに 意思決定アーキテクチャ を経営の議題に上げる議論だった[8]。私はこの議論が、日本企業の文脈ではまだ十分に翻訳されていないと考える。

HR の役割は、「動かない罪」を評価軸に含める ことだ。エンゲージメントサーベイにも、マネジャー評価にも、リーダーシップ研修にも、「作為のリスクを引き受けた行動」を可視化する設問を組み込む。「決められなかったことを評価する」のではない。「決めようとしたことを評価する」のだ。この微差は、組織文化を年月をかけて変えていく。

いま、経営が手を打つべき4つの実務

  1. 不作為の KPI 化――意思決定の遅延件数・棚上げ案件・決裁の差し戻し回数を月次で計測する。
  2. 「見送った選択肢」のレビュー定例化――経営会議の議題に「今四半期、私たちは何を見送ったか」を加える。
  3. 不作為プレモータム――重要判断ごとに「動かなかった場合の1年後のコスト」を事前に書き出す。
  4. 想定外マネジメント役の制度化――財務省反例を企業内に翻訳し、CSO/CRO ライン直下に「破綻シナリオから逆算する」専任機能を設置する。年次の事業計画レビューに必ず参加させる。

結論

平時不作為からの脱却は、慎重さの放棄ではない。「不作為のリスク」を、「作為のリスク」と同じ厳密さで会計する文化への移行である。

編集後記

このコラムはシリーズ5本目だ。書き進めるなかで気づいたのは、私自身がマネジャーとして「平時不作為」傾向に陥っていた事実である。「いま動いてもメリットが薄い」「もう少し情報が揃ってから決めよう」――いずれも一見合理的に見えるが、振り返れば不作為のコストのほうが大きかったケースが少なくない。船橋『戦後敗戦』の概念は、国家論であると同時に、極めて鋭い個人マネジメント診断ツールでもある。

書籍第2弾「プレイングマネージャーの処方箋」(2027年1月刊行予定)では、「組織の戦後敗戦」を1章として組み込むことを構想している。マネジャー個人の処方箋を書こうとしていたところに、組織の意思決定アーキテクチャの議論を避けて通れなくなった、というのが正直なところだ。

参考文献

[1] 船橋洋一『戦後敗戦──「国民安全保障国家」と「起業家国家」の構築を』、2026.
[2] Kahneman, D., & Tversky, A. (1979). Prospect theory: An analysis of decision under risk. Econometrica, 47(2), 263–291.
[3] Tversky, A., & Kahneman, D. (1991). Loss aversion in riskless choice: A reference-dependent model. Quarterly Journal of Economics, 106(4), 1039–1061.
[4] Sibony, O., Lovallo, D., & Kahneman, D. (2019). A structured approach to strategic decisions. MIT Sloan Management Review, 60(3), 67–73.
[5] Lucas, H. C., & Goh, J. M. (1996/2009). Disruptive technology: How Kodak missed the digital photography revolution. Journal of Strategic Information Systems, 18(1), 46–55.
[6] Iansiti, M., & Lakhani, K. R. (2020). Competing in the Age of AI: Strategy and Leadership When Algorithms and Networks Run the World. Harvard Business Review Press.
[7] Klein, G. (2007). Performing a project premortem. Harvard Business Review, 85(9), 18–19.
[8] Beshears, J., & Gino, F. (2015). Leaders as decision architects. Harvard Business Review, 93(5), 52–62.
[9] 戸部良一・寺本義也・鎌田伸一・杉之尾孝生・村井友秀・野中郁次郎『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』ダイヤモンド社、1984.
[10] 船橋洋一『国民安全保障国家論──世界は自ら助くる者を助く』文藝春秋、2022.
[11] Kahneman, D. (2011). Thinking, Fast and Slow. Farrar, Straus and Giroux.
[12] Edmondson, A. C. (2011). Strategies for learning from failure. Harvard Business Review, 89(4), 48–55.

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草稿(iter 2 / 2026-05-16) # 「平時不作為体制」は、あなたの会社にも棲んでいる:作為のリスクを引き受ける覚悟 ## 福島・コロナ・デジタル化を貫く一本の症候 2011年3月の福島第一原発事故。2020年からのコロナ対応。2010年代を通じたデジタル化遅延。これらは一見、別の領域の失敗事例である。だが、ジャーナリストの船橋洋一は近著『戦後敗戦』のなかで、これら全てを貫く一本の症候を抽出している――**「作為のリスク」を恐れ、「不作為のリスク」を肥大化させる体制** である[1]。 船橋はこれを「平時不作為体制」と命名した。「動いた結果起きうる損失・批判・責任追及」は計上されるが、「動かなかった結果積み上がる損失・機会喪失・国力低下」は会計されない。この非対称な意思決定構造が、戦後日本の7つの敗戦――石油危機、プラザ合意、半導体敗戦、湾岸戦争、ネット敗戦、尖閣ショック、福島原発――を貫いている。 ここで問いたいのは、シンプルな問題だ。**この症候は、いま日本企業の経営会議で同じ強度で作動している**。 ## 戦後7つの敗戦に共通する構造 『戦後敗戦』が7つの事例に見出した共通構造は、おおむね次のように整理できる。 - **石油危機(1973-74)**:田中角栄・中曽根康弘・大平正芳の路線対立に決着がつかず、迷走した - **プラザ合意後(1985-)**:マクロ経済政策協調を金融政策に偏重させ、財政と構造改革を後回しにした - **半導体敗戦(1992-2001)**:政府と企業が「没交渉」のまま10年が過ぎ、産業政策が停止した - **湾岸戦争(1990-91)**:「一国平和主義」の硬直で意思決定が遅延した - **ネット敗戦(1990年代-)**:ベンチャー育成・金融エコシステム整備の決断ができなかった - **尖閣ショック(2010-12)**:Status quo の変化を直視できなかった - **福島原発(2011-)**:「絶対安全神話」と「安心ポピュリズム」が、想定外リスクのマネジメントを封じた いずれも、誰かが悪意で失敗したわけではない。むしろ各時点の「合理的」判断の積み重ねが、不作為のコストを累積させていった。船橋が指摘するのは、**日本の統治機構が「作為のリスク」だけを会計し、「不作為のリスク」を会計してこなかった** という会計上の歪みである。 組織心理学的に言えば、これは Kahneman & Tversky のプロスペクト理論で繰り返し示されてきた **損失回避バイアス(loss aversion)の制度化** に他ならない[2]。動いて失敗するときの心理的コストは、動かずに機会を逃すときの心理的コストの **約2倍** 重く知覚される(β ≒ 2.25)[3]。 ここで重要な補助線を1本引かなければならない。β=2.25 はもともと **個人の意思決定文脈の効果量** であり、組織挙動への適用には翻訳が必要だ。Sibony・Lovallo・Kahneman(2019)が *HBR* で論じたのは、**個人レベルの認知バイアスが組織の意思決定プロセスに乗ったとき、希釈されるのではなく増幅される** という反直観的な所見である[4]。集団は個人より合理的になるのではなく、**多数派同調・情報カスケード・責任分散** によって、損失回避バイアスをむしろ制度として固定化する。経営会議で「もう少し情報を集めてから判断しよう」が繰り返される構造的理由はここにある。**個人の β=2.25 が、組織のプロセスを通過すると、見送り判断の正当化装置に変換される**――これが平時不作為体制の心理基盤である。 ## 通説の裏:慎重さは経営の半分の美徳である ここから見える通説の裏は、3点ある。 第一に、「リスク回避は健全な経営である」という言説。これは「作為のリスク」だけを計上する半分の経営である。決算書には書かれないが、**不作為の累積コスト** は確実に存在する。船橋『戦後敗戦』第三章が詳述する **日本の半導体敗戦** は、その典拠である――1992年から2001年までの10年間、日本は半導体産業政策が「ほぼゼロ」、政府と企業が「没交渉の時代」だった、と元経済産業省幹部の福田秀敬が証言している[1, p.155]。誰も悪意で動かなかったわけではない。むしろ「行政指導の文書化」「補助金改革」など、各時点で「合理的」と見える改革の累積が、戦略性・実効性・機動性を弱体化させ、結果として産業政策の不作為を10年にわたって続けた。同期間、サムスンとTSMCは作為のリスクを引き受け続け、垂直統合・水平統合の対照的なモデルを完成させた。日本の電機メーカーがファウンドリ事業(トレセンティ、ASPLA、エルピーダメモリ)に乗り出した時には、すでに10年遅れだった。 国際的にも同型の事例は揃う。Lucas(1996)の整理によれば、Kodak は1975年に世界初のデジタルカメラを社内開発しながら、フィルム事業を保護するため事業化を見送り続け、結果として2012年に破綻した[5]。Microsoft が2000年代後半に検索市場で動けなかった機会損失も、Iansiti & Lakhani(2020)が *Competing in the Age of AI* で論じる「組織慣性による不作為」の典型として扱われている[6]。 第二に、「平時の安定こそ強みである」という見方。船橋の指摘の核心は、**平時こそ不作為リスクが累積する** という時間軸の倒錯にある。有事には誰もが「動かなければならない」と気づくが、その時にはすでに選択肢が限定されている。平時に作為のリスクを取らないことで、有事の選択肢を自ら狭めている構造である。 第三に、「日本企業の慎重さは美徳である」という自己像。これは半分の真実である。慎重さそのものは悪ではない。しかし慎重さが **「不作為のリスクを会計しないこと」** の言い訳として作動するなら、それは構造的失敗の温床に変わる。 『戦後敗戦』のなかで船橋が指摘する **唯一の反例** が、福島原発危機における財務省である[1]。電力会社・規制当局・他省庁が判断停止するなか、財務省だけが「東京電力の財務破綻シナリオ」に対する作為のリスクを取り、最終的にプライベートとパブリックを切り分けた処理を主導した。組織として「不作為のコスト」を計上する文化が、ここにはあった。 ## 個人 × 組織の二層接続:作為のリスクを会計する 二層に翻訳しよう。 マネジャーレベルでは、自分の意思決定簿に **「動かなかった選択肢のコスト」** を書き出す習慣が必要だ。週次レビューで「今週、私は何を見送ったか」「見送ったことで失った機会は何か」を可視化する。Klein(2007)が提唱した **プレモータム** が個人の意思決定品質を高めるとされるのと同じ原理で、**不作為のプレモータム**(Klein のプレモータムを応用した造語)はマネジャーの認知バイアスを矯正する[7]。 組織レベルでは、**不作為の KPI 化** が必要である。意思決定の遅延件数、棚上げ案件の累積、決裁先送り回数を計測する仕組みを設計する。Beshears & Gino(2015)が *HBR* で論じた "behavioral leadership" の系譜は、まさに **意思決定アーキテクチャ** を経営の議題に上げる議論だった[8]。私はこの議論が、日本企業の文脈ではまだ十分に翻訳されていないと考える。 HR の役割は、**「動かない罪」を評価軸に含める** ことだ。エンゲージメントサーベイにも、マネジャー評価にも、リーダーシップ研修にも、「作為のリスクを引き受けた行動」を可視化する設問を組み込む。「決められなかったことを評価する」のではない。「決めようとしたことを評価する」だ。この微差は、組織文化を年月をかけて変えていく。 ## いま、経営が手を打つべき4つの実務 1. **不作為の KPI 化**――意思決定の遅延件数・棚上げ案件・決裁の差し戻し回数を月次で計測する。 2. **「見送った選択肢」のレビュー定例化**――経営会議の議題に「今四半期、私たちは何を見送ったか」を加える。 3. **不作為プレモータム**――重要判断ごとに、「動かなかった場合の1年後のコスト」を事前に書き出す。 4. **財務省型チームの設計研究**――組織内で「想定外リスクをマネージする」役割を担うチームを意識的に育てる。 ## 結論 平時不作為からの脱却は、慎重さの放棄ではない。「不作為のリスク」を、「作為のリスク」と同じ厳密さで会計する文化への移行である。 ## 編集後記 このコラムは、シリーズ5本目にあたる。書き進めるなかで気づいたのは、私自身がマネジャーとして「平時不作為」傾向に陥ることがあったということだ。「いま動いてもメリットが薄い」「もう少し情報が揃ってから決めよう」――いずれも一見合理的に見えるが、振り返れば不作為のコストのほうが大きかったケースが少なくない。船橋『戦後敗戦』の概念は、国家論であると同時に、極めて鋭い個人マネジメント診断ツールでもある。 書籍第2弾「プレイングマネージャーの処方箋」(2027年1月刊行予定)では、「組織の戦後敗戦」を1章として組み込むことを構想している。マネジャー個人の処方箋を書こうとしていたところに、組織の意思決定アーキテクチャの議論を避けて通れなくなった、というのが正直なところである。 ## 参考文献 [1] 船橋洋一『戦後敗戦──「国民安全保障国家」と「起業家国家」の構築を』、2026. [2] Kahneman, D., & Tversky, A. (1979). Prospect theory: An analysis of decision under risk. *Econometrica*, 47(2), 263–291. [3] Tversky, A., & Kahneman, D. (1991). Loss aversion in riskless choice: A reference-dependent model. *Quarterly Journal of Economics*, 106(4), 1039–1061. [4] Sibony, O., Lovallo, D., & Kahneman, D. (2019). A structured approach to strategic decisions. *MIT Sloan Management Review*, 60(3), 67–73. [5] Lucas, H. C., & Goh, J. M. (1996/2009). Disruptive technology: How Kodak missed the digital photography revolution. *Journal of Strategic Information Systems*, 18(1), 46–55. [6] Iansiti, M., & Lakhani, K. R. (2020). *Competing in the Age of AI: Strategy and Leadership When Algorithms and Networks Run the World*. Harvard Business Review Press. [7] Klein, G. (2007). Performing a project premortem. *Harvard Business Review*, 85(9), 18–19. [8] Beshears, J., & Gino, F. (2015). Leaders as decision architects. *Harvard Business Review*, 93(5), 52–62. [9] 戸部良一・寺本義也・鎌田伸一・杉之尾孝生・村井友秀・野中郁次郎『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』ダイヤモンド社、1984. [10] 船橋洋一『国民安全保障国家論──世界は自ら助くる者を助く』文藝春秋、2022. [11] Kahneman, D. (2011). *Thinking, Fast and Slow*. Farrar, Straus and Giroux. [12] Edmondson, A. C. (2011). Strategies for learning from failure. *Harvard Business Review*, 89(4), 48–55.
草稿(iter 1 / 2026-05-16) # 「平時不作為体制」は、あなたの会社にも棲んでいる:作為のリスクを引き受ける覚悟 ## 福島・コロナ・デジタル化を貫く一本の症候 2011年3月の福島第一原発事故。2020年からのコロナ対応。2010年代を通じたデジタル化遅延。これらは一見、別の領域の失敗事例である。だが、ジャーナリストの船橋洋一は近著『戦後敗戦』のなかで、これら全てを貫く一本の症候を抽出している――**「作為のリスク」を恐れ、「不作為のリスク」を肥大化させる体制** である[1]。 船橋はこれを「平時不作為体制」と命名した。「動いた結果起きうる損失・批判・責任追及」は計上されるが、「動かなかった結果積み上がる損失・機会喪失・国力低下」は会計されない。この非対称な意思決定構造が、戦後日本の7つの敗戦――石油危機、プラザ合意、半導体敗戦、湾岸戦争、ネット敗戦、尖閣ショック、福島原発――を貫いている。 ここで私が問いたいのは、シンプルな問題だ。**この症候は、いま日本企業の経営会議で同じ強度で作動していないか**。 ## 戦後7つの敗戦に共通する構造 『戦後敗戦』が7つの事例に見出した共通構造は、おおむね次のように整理できる。 - **石油危機(1973-74)**:田中角栄・中曽根康弘・大平正芳の路線対立に決着がつかず、迷走した - **プラザ合意後(1985-)**:マクロ経済政策協調を金融政策に偏重させ、財政と構造改革を後回しにした - **半導体敗戦(1992-2001)**:政府と企業が「没交渉」のまま10年が過ぎ、産業政策が停止した - **湾岸戦争(1990-91)**:「一国平和主義」の硬直で意思決定が遅延した - **ネット敗戦(1990年代-)**:ベンチャー育成・金融エコシステム整備の決断ができなかった - **尖閣ショック(2010-12)**:Status quo の変化を直視できなかった - **福島原発(2011-)**:「絶対安全神話」と「安心ポピュリズム」が、想定外リスクのマネジメントを封じた いずれも、誰かが悪意で失敗したわけではない。むしろ各時点の「合理的」判断の積み重ねが、不作為のコストを累積させていった。船橋が指摘するのは、**日本の統治機構が「作為のリスク」だけを会計し、「不作為のリスク」を会計してこなかった** という会計上の歪みである。 組織心理学的に言えば、これは Kahneman & Tversky のプロスペクト理論で繰り返し示されてきた **損失回避バイアス(loss aversion)の制度化** に他ならない[2]。動いて失敗するときの心理的コストは、動かずに機会を逃すときの心理的コストの **約2倍** 重く知覚される(β ≒ 2.25)。これが個人レベルでなく組織レベルで制度化したとき、平時不作為体制が生まれる。 ## 通説の裏:慎重さは経営の半分の美徳である ここから見える通説の裏は、3点ある。 第一に、「リスク回避は健全な経営である」という言説。これは「作為のリスク」だけを計上する半分の経営である。決算書には書かれないが、**不作為の累積コスト** は確実に存在する。Microsoft が2000年代後半に検索市場で動けなかった機会損失、コダックがデジタルカメラ部門への投資を保留した10年、日本の大手電機が半導体ファウンドリ参入を見送り続けた決断――いずれも「リスク回避」の名のもとに行われた、極めて高価な不作為だった。 第二に、「平時の安定こそ強みである」という見方。船橋の指摘の核心は、**平時こそ不作為リスクが累積する** という時間軸の倒錯にある。有事には誰もが「動かなければならない」と気づくが、その時にはすでに選択肢が限定されている。平時に作為のリスクを取らないことで、有事の選択肢を自ら狭めている構造である。 第三に、「日本企業の慎重さは美徳である」という自己像。これは半分の真実である。慎重さそのものは悪ではない。しかし慎重さが **「不作為のリスクを会計しないこと」** の言い訳として作動するなら、それは構造的失敗の温床に変わる。 『戦後敗戦』のなかで船橋が指摘する **唯一の反例** が、福島原発危機における財務省である[1]。電力会社・規制当局・他省庁が判断停止するなか、財務省だけが「東京電力の財務破綻シナリオ」に対する作為のリスクを取り、最終的にプライベートとパブリックを切り分けた処理を主導した。組織として「不作為のコスト」を計上する文化が、ここにはあった。 ## 個人 × 組織の二層接続:作為のリスクを会計する 二層に翻訳しよう。 マネジャーレベルでは、自分の意思決定簿に **「動かなかった選択肢のコスト」** を書き出す習慣が必要だ。週次レビューで「今週、私は何を見送ったか」「見送ったことで失った機会は何か」を可視化する。Klein(2007)が提唱した **プレモータム** が個人の意思決定品質を高めるとされるのと同じ原理で、**不作為のプレモータム** はマネジャーの認知バイアスを矯正する[3]。 組織レベルでは、**不作為の KPI 化** が必要である。意思決定の遅延件数、棚上げ案件の累積、決裁先送り回数を計測する仕組みを設計する。Beshears & Gino(2015)が *HBR* で論じた "behavioral leadership" の系譜は、まさに **意思決定アーキテクチャ** を経営の議題に上げる議論だった[4]。私はこの議論が、日本企業の文脈ではまだ十分に翻訳されていないと感じている。 HR の役割は、**「動かない罪」を評価軸に含める** ことだ。エンゲージメントサーベイにも、マネジャー評価にも、リーダーシップ研修にも、「作為のリスクを引き受けた行動」を可視化する設問を組み込む。「決められなかったことを評価する」のではない。「決めようとしたことを評価する」だ。この微差は、組織文化を年月をかけて変えていく。 ## いま、経営が手を打つべき4つの実務 1. **不作為の KPI 化**――意思決定の遅延件数・棚上げ案件・決裁の差し戻し回数を月次で計測する。 2. **「見送った選択肢」のレビュー定例化**――経営会議の議題に「今四半期、私たちは何を見送ったか」を加える。 3. **不作為プレモータム**――重要判断ごとに、「動かなかった場合の1年後のコスト」を事前に書き出す。 4. **財務省型チームの設計研究**――組織内で「想定外リスクをマネージする」役割を担うチームを意識的に育てる。 ## 結論 平時不作為からの脱却は、慎重さの放棄ではない。「不作為のリスク」を、「作為のリスク」と同じ厳密さで会計する文化への移行である。 ## 編集後記 このコラムは、シリーズ5本目にあたる。書き進めるなかで自分でも気づいたのは、私自身がマネジャーとして「平時不作為」傾向に陥ることがあったということだ。「いま動いてもメリットが薄い」「もう少し情報が揃ってから決めよう」――いずれも一見合理的に見えるが、振り返れば不作為のコストのほうが大きかったケースが少なくない。船橋『戦後敗戦』の概念は、国家論であると同時に、極めて鋭い個人マネジメント診断ツールでもあると感じている。 書籍第2弾「プレイングマネージャーの処方箋」(2027年1月刊行予定)では、「組織の戦後敗戦」を1章として組み込むことを構想している。マネジャー個人の処方箋を書こうとしていたところに、組織の意思決定アーキテクチャの議論を避けて通れなくなった、というのが正直なところである。 ## 参考文献 [1] 船橋洋一『戦後敗戦──「国民安全保障国家」と「起業家国家」の構築を』、2026. [2] Kahneman, D., & Tversky, A. (1979). Prospect theory: An analysis of decision under risk. *Econometrica*, 47(2), 263–291. [3] Klein, G. (2007). Performing a project premortem. *Harvard Business Review*, 85(9), 18–19. [4] Beshears, J., & Gino, F. (2015). Leaders as decision architects. *Harvard Business Review*, 93(5), 52–62. [5] 戸部良一・寺本義也・鎌田伸一・杉之尾孝生・村井友秀・野中郁次郎『失敗の本質――日本軍の組織論的研究』ダイヤモンド社、1984. [6] 船橋洋一『国民安全保障国家論──世界は自ら助くる者を助く』文藝春秋、2022. [7] Kahneman, D. (2011). *Thinking, Fast and Slow*. Farrar, Straus and Giroux. [8] Tversky, A., & Kahneman, D. (1991). Loss aversion in riskless choice: A reference-dependent model. *Quarterly Journal of Economics*, 106(4), 1039–1061. [9] Edmondson, A. C. (2011). Strategies for learning from failure. *Harvard Business Review*, 89(4), 48–55.