新卒採用をめぐって、いま多くの経営会議で同じ問いが交わされている。AIが若手の仕事を侵食していくのだから新卒採用は減らすべきだ、という声。いや、AIで生産性が上がるなら未来の中核人材への投資としてむしろ増やすべきだ、という声。減らすか、増やすか。ハムレットめいたこの二択は、一見すると経営判断の核心を突いているように見える。
だが私は、この問いの立て方そのものが間違っていると考えている。減らすか増やすかは「量(数)の問い」である。年間の新卒採用枠を50人から30人にするか80人にするか、という調整の話だ。ところがAIが採用市場にもたらしている変化は、量の調整では捉えきれない種類のものだ。問われているのは枠の大小ではなく、企業の中に「経験の入口」をどう設計するかという構造の問題である。問いを正しく立て直さない限り、減らしても増やしても、おそらく同じ場所でつまずく。
まず、足元で何が起きているのかを正確に見ておきたい。
Brynjolfssonらが率いる Stanford Digital Economy Lab が2025年に公表した実証研究、通称「炭鉱のカナリア」は、ChatGPT登場以降の米国雇用データを分析し、AI曝露の高い職業で22-25歳の若手雇用が約16%減少したことを示した。ソフトウェア開発者に絞ると、22-25歳の雇用は約20%減、求人ポスティングはピーク比で53%も減っている。一方、26歳以上の同職種では同等の減少が観察されない。
この研究が決定的に重要なのは、減っているのが「総数」ではなく「若手という特定の入口」だという点にある。米国全体の失業率は安定している。マクロのレイオフ・ウェーブが起きているわけではない。起きているのは、企業が既存社員を解雇するのではなく、新たにジュニアを「採らない」という静かな選択だ。AIが最初に侵食したのは、コードの定型部分やリサーチの下準備といった、まさに新人が経験を積むために割り当てられてきたタスクだった。結果として、職業そのものは残るのに、その職業への入口だけが選択的に閉じていく。
「減らすか増やすか」という問いは、ここを取りこぼす。採用数を何人にするかという議論は、入口がそもそも構造的に細っているという前提を無視して、蛇口のひねり加減だけを論じている。WEF の Future of Jobs Report 2025 が2030年までにネットで7,800万の雇用増を見込んでいることと、若手の入口が閉じていくことは、まったく矛盾しない。総数は増えても、ロール構成は大規模に入れ替わる。総数の増減で安心も悲観もできないのは、このためだ。
では入口が細るなら、いったん新卒採用を絞り、必要になったら戻せばよいのではないか——そう考える経営者は少なくない。採用は可逆的な操作だ、という暗黙の前提がそこにはある。
IBMの事例は、この前提を正面から裏切る。同社のCEO Krishnaは2023年、バックオフィス機能の約30%・7,800人分をAIと自動化で代替し、該当領域の採用を凍結すると公言した。AI採用凍結の象徴的なケースとして広く引用された宣言である。ところが2026年、IBMはむしろ新卒採用を3倍に拡大した。全社雇用は減るどころか増えている。AIで解放した資源を、プログラマーや営業といった付加価値の高い職務の採用に振り向けたのだ。CHROは「AIはエントリーレベルの大半をこなせるが、人間のタッチは依然として必要だ」と述べている。
ここから読み取るべきは、IBMが正解にたどり着いたという成功譚ではない。むしろ、一度「閉じる」と宣言した入口を、わずか数年で「3倍」という極端な振れ幅で開け直さなければならなかったという、その振幅の大きさである。減らすことが安価で可逆な操作なら、こんな急旋回は要らない。入口を閉じている間に育っていたはずの人材は育たず、組織の経験曲線には空白が生まれる。その空白を埋め直すコストが、3倍という数字に表れている。減らすという選択は、増やすという選択と対称ではない。後から取り返しのつきにくい、非対称な操作なのだ。なお、これはIBMという一社の軌跡であって万能の処方ではない。だが「絞ってから戻せばよい」という発想の楽観を点検するには、十分に重い反例である。
入口の不可逆性をさらに厄介にしているのが、AI時代における「経験」の価値構造だ。
宮本弘暁が『AI大格差』で論じるように、AIがもたらす格差は「使う/使わない」では生まれない。AIの出力を評価し、違和感を見抜き、判断と責任を引き受けられるかどうかが分岐点になる。そしてこの「見抜く目」は、経験を積んだ人材ほど鋭い。生煮えのアウトプットに「何かおかしい」と気づけるのは、その領域で十分な試行錯誤を重ねてきた者だ。つまりAIが普及するほど、代替されにくい中核的価値は経験者の側に集中していく。
ここに自家撞着がある。経験者は代替しにくい——だが、その経験者は、かつて若手として下積みのタスクをこなし、OJTで育てられた人々にほかならない。AIが侵食しているのは、まさにその下積みのタスクである。若手の入口を閉じることは、短期的にはAIで代替できる人件費を削ることだが、長期的には未来の経験者の供給源を断つことを意味する。10年後に「AI出力を見抜ける経験者が社内にいない」という事態は、今ジュニアを採らない判断の遅効性の帰結として訪れる。これは私が以前まとめた採用トレンドの個人調査で Talent Paradox——同じ企業内で人余りと採用難が同時発生する逆説——と呼んだ構造の、時間軸版だと言ってよい。人余りと採用難が「部署のあいだ」で起きるのと同じことが、「現在の若手と未来の経験者のあいだ」で起きている。
ここまで来れば、なぜ「減らすか増やすか」が誤った問いなのかが見えてくる。それは量を論じることで、構造を論じ損なっているからだ。
正しい問いはこうだ。AIが若手タスクを侵食する時代に、企業はどうやって未来の経験者を生み出す「経験の入口」を設計し直すのか。これは採るか採らないかの問いではなく、育成・配置・経験曲線をどう再構築するかというポートフォリオの問いである。
入口を「数」ではなく「設計対象」として見ると、論点は一気に具体化する。AIが新人の下積みタスクを奪うなら、新人の経験曲線は別の場所に作り直さなければならない。たとえば、かつてジュニアがコードの定型部分を書きながら学んでいたのなら、これからは「AIが書いた定型部分をレビューし、違和感を言語化する」というタスクが新しい下積みになりうる。下積みの中身を、AIに奪われた作業から、AIを使いこなし評価する側の経験へと設計し直すということだ。配置も変わる。経験者がAIで一人当たりの生産量を増やすなら、その傍らに若手を置き、「経験者×AI×若手」のチーム単位で経験を移転させる設計が要る。採用数というスカラー値ではなく、人材ポートフォリオの構成と、その中で経験がどう循環するかという設計図が、CHROの解くべき対象になる。
日本企業にとって、この問いはとりわけ切実だ。濱口桂一郎が指摘するように、日本の雇用契約は職務を後から書き込む「空白の石板」であり、新卒一括採用は具体的スキルではなく潜在能力=伸びしろを見込んで人を採る仕組みだった。その伸びしろは、入社後のOJTで初めて具体的な職務能力に変換される。ところがそのOJTの現場をAIが侵食しているのだから、日本型の「採ってから育てる」モデルは、育てる過程そのものの再設計を迫られている。空白の石板に何をどう書き込むのか——その書き込みプロセスの再設計こそが、いま日本のCHROが向き合うべき問いである。「新卒を減らすか増やすか」と問うている限り、この再設計には永遠に着手できない。
実務に落とすなら、経営人事が自社に向けるべき問いは「今年の新卒枠を何人にするか」ではない。
第一に、自社の各ポジションで「若手が経験を積む入口タスク」が何で、そのうちどれがAIに侵食されつつあるかを棚卸しすること。入口が消えているなら、それは採用数ではなく経験設計の問題として顕在化する。第二に、消えた入口の代わりに、AIを評価・指揮する側の新しい下積み経験をどこに設計するか。第三に、その経験を「経験者×AI×若手」のチーム構成でどう循環させ、未来の経験者を計画的に生み出すか。これらはいずれも、採用数の調整では一つも答えられない問いである。
「減らすか増やすか」は、問いとしては美しく二項的で、それゆえに判断した気にさせてくれる。だが、その問いに答えても、入口の構造は何も変わらない。AIが変えたのは新卒採用の最適な人数ではなく、企業が経験を生み出す仕組みそのものだ。問うべきは数ではない。未来の経験者を、どこで、どう育てるのか。その入口を設計し直せる企業だけが、AIに代替されない人材を、これからも自前で生み出し続けられる。
proxy reviewer 評価(thesis-orchestrator 自己採点、辛口、iter 1)
次 iter の改善余地: (1) 「経験の入口の設計」を CHRO が明日動かせる粒度まで具体化する(入口タスク棚卸しの観点、経験移転チームの編成単位など)。(2) 対句見出しの装飾性を1〜2箇所削り、slop をさらに下げる。
(iter 1 が最新。以降の iteration はここに新しい順で details 保存)