生成AIは「マネジャーを有能にする技術」として迎えられがちだが、本当に増幅されるのは、できない上司の無能ではなく、できる上司の「思い込み」である——という逆説を起点に、Googleのエンパワメント型マネジメントが説く「正しさの罠」を補助線に据える。AIは確信の補強・偏りの固定化・監視の精緻化を通じてこの罠を高速化しうる一方、自分の判断を疑う「鏡」として使えば解毒器にもなる。監視ではなく解放(unblocker・権限委譲)に振り向けたAI活用と、増幅の非対称性(優秀層から先に去る)による人的資本ROICへの影響を論じ、AI時代に問われるのは「正しく導く力」ではなく「自分の正しさを疑う力」だと結論する。Parasuramanら(1997)の自動化バイアスを論拠に用いる。
マーサージャパン株式会社
組織・人事変革コンサルティング シニアプリンシパル
組織変革エクセレンスユニット統括
諸橋峰雄
人的資本情報の開示義務化が本格化するなか、多くの経営幹部が共通の問いを抱えている──「マネジャーの質をどう高め、説明できるようにするか」。会議の要約、データの集計、報告書の下書き、進捗の可視化──管理職の時間を費やしてきた業務を自動化する生成AIは、その問いへの一つの答えとして現場に広がっている。AIで管理の精度を上げるという選択は、人的資本への投資対効果を問われる経営者には合理的に映る。
だが私たちは、ここに見落とされた危うさがあると考えている。AIが本当に増幅するのは、できない上司の無能ではない。できる上司の「思い込み」である。経験を積み、成果を出してきたマネジャーほど、自分の判断は正しいという自負を持つ。その自負に、AIが「データの裏づけ」という装いを与えたとき、何が起きるか。思い込みはさらに強まり、無自覚な支配──高速化され、精緻化されたマイクロマネジメント──が生まれる。
本稿では、グーグルのエンパワメント型マネジメントを体系化した書籍『Googleで学んだ 圧倒的成果を出し続けるマネジャーの最優先事項』(1)が「正しさの罠」と呼ぶこの落とし穴を補助線に、AI時代のマネジャーに問われる「自制」のマインドセットと、その設計のあり方を論じる。
前掲書は、マネジメントの最大の敵を、能力の不足ではなく「正しさの罠」に見いだす。権威と経験を持つマネジャーが、「自分の考えは正確だ」という自負から、無自覚に意見を押しつけ、細部にまで介入していく。本人は善意で「正しく導いている」つもりだが、メンバーから見れば、それは自律を奪う支配であり、ハラスメントの温床にもなる。
この罠が捉えるのは、能力の低いマネジャーではない。むしろ成果を出してきた優秀なマネジャーである。だからこそ厄介なのだ。グーグルが2002年にマネジャーという階層を廃止する実験を行い、数ヶ月で撤回した逸話は知られているが、同社がそこから導いた答えは「強い管理者を増やす」ことではなかった。「指示する管理者」から「自律を支える伴走者」へ──すなわち管理型からエンパワメント型へと、マネジャーの役割そのものを転換することであった(図1:管理型とエンパワメント型の対比をこのあたりに)。エンパワメント型への転換とは、管理を強めることではなく、手放す勇気を持つことにほかならない。
AIは、この罠を解毒もすれば、増幅もする。問題は、放っておけば増幅に傾きやすいことである。理由は三つある。
第一に、思い込みの強化である。生成AIに問えば、たいていの主張には、もっともらしい根拠が返ってくる。マネジャーが自分の結論を入力し、それを支持する論拠を集めさせれば、AIは確証バイアスを満たす装置になる。しかも人は、自動化された出力を過信しやすい。意思決定における「自動化バイアス」は、Parasuramanら(1997)以来、繰り返し報告されてきた人間の傾向である(2)。AIの「正しそうな顔」は、根拠なき思い込みに、客観性の衣をまとわせてしまう。
第二に、偏りの固定化である。前掲書は、評価や登用を歪める無意識のバイアスを十種に整理している──ステレオタイプ、確証、親和性、内集団びいき、アンカリング。AIは、過去データに刻まれたこうした偏りを学習し、再生産しうる。人間の偏見は、気づけば修正できる。だが機械に組み込まれた偏見は、「客観的な仕組み」として温存される。
第三に、監視の精緻化である。AIは、メンバーの行動・進捗・対話を、かつてない解像度で可視化する。エンパワメント型が手放そうとした細かな介入を、AIはむしろ容易にしてしまう。弊社の「CHROの声(Voice of the CHRO)2024」調査(183社・14業界)では、CHROの84%が今後HR機能がより自動化・テクノロジー中心になると見込んでいる(3)。その期待はAIによるHR業務の強化として各現場に広がっているが、「改善」は、しばしば「測定の強化」として実装される。可視化できる対象を増やすこと自体が善とされやすく、改善のための計測が、いつのまにか監視へと滑り込む。その改善が「管理の強化」に向かうのか、「自律の支援」に向かうのかは、技術ではなく、使い手のマインドセットが決める。
では、増幅器を解毒器に変えるには、どうすればよいのか。鍵は、AIを「部下を測る道具」ではなく「マネジャー自身を映す鏡」として使うことである。
前掲書は、優れたマネジャーの作法として「怒りを問いに変える」ことを挙げる。「なぜできないんだ」という断罪を、「何が起きているのか」「どんな構造的要因があるのか」という問いに転換する。AIは、この転換を助けうる。自分が下した評価の根拠をAIに言語化させ、そこに潜む飛躍や偏りを点検する。判断を機械に委ねるためではなく、自分の判断を疑うために使うのである。これは、AIに仕事を奪わせる発想とは正反対の、人間の側の知性を一段引き上げる使い方である。
実務上の工夫は単純でよい。たとえば、ある人事判断を下す前に、AIに「この決定に最も強く反対する立場から論じよ」と指示する。自分の結論を補強させるのではなく、あえて反証を集めさせるのである。確証バイアスを満たす装置になりかけたAIは、こうして使い方を一つ変えるだけで、自らの死角を照らす反対尋問者に変わる。問われているのは、AIの賢さではない。自分の正しさを、進んで疑いにかけるマネジャーの姿勢である。
弊社では、パーソナリティデータを用いた適所適材のソリューションを開発しているが、その思想は一貫して「決めつけ」ではなく「見立ての補助」である。データは、人を分類してラベルを貼るためにあるのではなく、見落としていた可能性に気づくためにある。私たちが繰り返し述べてきたように、データ活用は「目的ありき」でなければならない。何のために、どの判断を、どこまで機械に委ねるのか──その線引きを担うのは、最後までマネジャー自身の見識である。
「正しさの罠」を避けることは、AIを使わないことを意味しない。むしろ逆である。同じ可視化の技術を、支配にではなく解放に振り向けたとき、AIはエンパワメント型マネジメントを強力に後押しする。
前掲書は、マネジャーの役割を「焚き火の番人」にたとえる。火を絶やさぬための行動は三つある。挑戦したいという想いに着火し、風を送ること。リソースと優先順位という薪をくべ、配置を変えること。そして、燃焼を妨げる灰を取り除くこと──組織の壁や無駄な手続きを排除する、いわゆる障害除去(アンブロッカー)の役割である。AIの最も健全な用途は、この灰取りにある。報告のための報告、形だけの会議資料、部署間で分断された情報。こうした「チームの熱を奪う作業」をAIに引き受けさせれば、メンバーは本来の価値創造に集中でき、マネジャー自身も介入の誘惑から解放される。
可視化の使い方も問われる。進捗がAIによってリアルタイムに見えること自体は、監視にも、安心にもなりうる。前掲書が説く権限委譲は「丸投げ」ではなく、目標と接点を定めたうえで方法は本人に委ねる作法である。可視化を「逐一口を出すための監視」に使えば正しさの罠に逆戻りするが、「任せたうえで、必要なときだけ手を差し伸べるための安心材料」に使えば、委譲はむしろ進む。同じデータが、マインドセット次第で正反対の意味を持つ。
目標設計においても同じ原理が働く。なぜ取り組むのか(WHY)、どこを目指すのか(WHAT)をマネジャーが言葉にし、どうやるか(HOW)は本人に委ねる。このとき、AIは「マネジャーが部下を管理する道具」ではなく「メンバー自身が自律的に考え、動くための道具」として手渡されるべきである。誰の手にAIを握らせるか。その設計思想にこそ、管理型とエンパワメント型の分岐が表れる。
なぜこれが経営の問題なのか。正しさの罠に陥ったマネジメントは、優秀なメンバーの自律性を削ぎ、やがて組織から人を去らせる。前掲書が描くように、人は「任されている」と感じたときにこそ本気になる。その逆を、AIが高速で推し進めれば、エンゲージメントの低下と離職という形で、人的資本は静かに毀損していく。投じた人材投資が、どれだけの利益を生んだか。人的資本のROIC(投下資本利益率)の視点で見れば、マネジャーの自制の欠如は、そのまま資本効率の悪化に直結する。
しかも、この毀損には非対称性がある。最初に去っていくのは、最も優秀な人材である。市場価値の高いメンバーほど、選択肢を持ち、自律を奪う環境に長くとどまらない。すなわち、AIに増幅された支配は、組織にとって最も失ってはならない人的資本から先に流出させる。一般に、中核人材一人の自発的離職がもたらす損失は、後任の採用・育成コストや立ち上がりまでの生産性の空白を含めれば、当人の年収の数割から二倍に相当するとも試算される。弊社の「グローバル人材動向調査(Global Talent Trends)2026」(経営層・人事・投資家・従業員 約12,000人を調査)では、経営層の54%が「人材不足」を人材戦略に最も影響する力に挙げ、いきいきと働けている(thriving)社員の割合は2024年の66%から2026年には44%へと落ち込んでいる(4)。人材獲得競争が激化するなか、つなぎとめるべき層を逃すリスクはかつてなく高い。AI投資の費用対効果を語るなら、削減できた工数だけでなく、守れたはずの人的資本まで含めて勘定しなければならない。
AIは増幅器である。優れたマネジメントを、より優れたものに。貧しいマネジメントを、より貧しいものに。だからこそ、ツールの導入に先立って、マインドセットへの投資が要る。最初に導入すべきは、AIではない。「自分は間違いうる」という前提である。
AIは、部下を管理する前に、マネジャー自身を映し出す。そこに映るのが、自律を支える伴走者なのか、思い込みに縛られた支配者なのか。それを分けるのは、技術の性能ではない。マネジャーのマインドセットである。
私たちは、AIが進化するほど、マネジャーに問われるのは「正しく導く力」ではなく「自分の正しさを疑う力」だと確信している。増幅されるべきは、思い込みではない。自制である。その設計に着手する時は、今である。
諸橋 峰雄(もろはし みねお)
人事組織変革を中心に幅広い領域でのコンサルティングを手掛けている。マーサー参画前はグーグルでGoogle広告の新規営業チームを日本・韓国で統括。その以前はHR Techスタートアップでピープルアナリティクスのコンサルティングチームを立ち上げた。その他バイオベンチャー、戦略系コンサルティング、共同創業したリーダー育成・組織変革アドバイザリーファームでの経験を持つ。ビジネス・ブレークスルー大学経営学部 客員教授。慶應義塾大学大学院理工学研究科修了。慶應義塾大学博士(工学)。
肩書:マーサージャパン株式会社/組織・人事変革コンサルティング シニアプリンシパル/組織変革エクセレンスユニット統括