書籍第2弾「プレイングマネジャーの処方箋」第二部・第11章のドラフト(iter2)。Neo担当3章(第9・10・11章)の最終章。第10章で「存在で証明する」価値観を手に入れた読者に、「人を導く行為は、実は自分自身を変える行為でもある」という最後の一歩を示す。前半(旧11-1相当)はKegan成人発達理論を専門用語なしで翻訳し、「自分の物差しを疑えるようになる」という体験として描く。NeoBrainに既に取り込み済みの関連書籍([[Book-人の器をはかるとはどういうことか]]・[[Book-心の複雑さに向き合うとはどういうことか]])の内容を厚く反映し、「器と能力は別の成長軸」「自己中心性が縮小するほど対象世界が拡大する」という発達方程式、支援者(コーチ)自身の器の成熟が要件になるという知見、Scheinの5つのフィルター(自己イメージ・他者イメージ・状況解釈・動機感情・期待)による自己客観化の具体的な技法、そして「相手を測ろうとする前に自分の物差しを疑え」という倫理的留保を、専門用語(段階番号等)を出さずに翻訳して盛り込んだ。後半(旧11-2相当)はマズローを軽い補助線として、承認欲求から自己実現への報酬の移り変わりを描き、「誰かの正解を演じなくていい」という核心メッセージに着地する。第1作の「正しさの罠」・第9章の「自分を許す」と同じ"唯一の正解を手放す"というモチーフをここで収束させ、第12章(Kozo担当)へ橋渡しする。設計は [[Book2-第11章-要素設計]] 準拠。本文中のエピソードはプレースホルダー。Neo実話ヒアリング待ち。
マネジャーになったとき、多くの人はこう考えます。「これから自分は、人を育てる側になる」。教える側、導く側、正しい方向を示す側。そう思うのは、自然なことです。
けれど、しばらく経つと、少し違う実感が湧いてきます。人を育てようとして向き合っているうちに、変わっていくのは、部下だけではありません。自分自身のものの見方も、いつの間にか、変わっていくのです。
〔※以下、プレースホルダー・エピソード。Neo実話への差し替え必須〕
ある管理職は、あるとき、自分が正しいと信じて疑わなかった仕事の進め方を、部下から真正面から疑問視されました。最初は、若さゆえの理解不足だろうと思ったそうです。けれど、話を聞くうちに、その部下の視点にも一理あることに気づき、自分がこれまで一つのやり方に固執していたことに、初めて気づかされました。
こうした場面は、マネジャーであれば、一度や二度ではないはずです。人を導こうとする経験は、避けようもなく、自分自身の未熟さや思い込みを、目の前に突きつけてきます。
なぜ、人を導く経験は、これほどまでに自分を揺さぶるのでしょうか。
心理学者ロバート・キーガンは、人は大人になっても、ものの見方の枠組みそのものが、生涯にわたって発達し続けると論じました。その研究が示す、もっとも大事な一点を平易な言葉にするなら、こうなります。
「自分の物差し(これが正しい、これが当然だという思い込み)を、当たり前だと思っているうちは、その物差しに縛られたまま生きることになる。けれど、その物差し自体を、少し距離を置いて眺められるようになると、初めて、それを選び直せるようになる」
これは、抽象的な話ではありません。あなたが部下と向き合うたびに、実際に起きていることです。部下の反応が、自分の予想と違う。部下の理屈が、自分には理解できない。そうした摩擦の一つひとつが、「自分が当然だと思っていたことは、本当に当然だったのか?」と問い直す機会になります。
以前は疑いもしなかった自分のやり方が、実は数ある見方の一つに過ぎなかったと気づく。その瞬間、あなたの視点は、一つ増えます。これは、部下を育てているようでいて、実はあなた自身が、育てられている瞬間でもあるのです。
ここで、一つ区別しておきたいことがあります。成長には、実は二つの種類があります。一つは、「腕前」が上がる成長――知識が増える、スキルが磨かれる、できることが増える。もう一つは、「器」が広がる成長――ものの見方そのものが変わる、いままで見えなかったものが見えるようになる。前者は、研修やトレーニングで鍛えられます。けれど後者は、そう簡単には鍛えられません。器が広がるのは、たいてい、人との関わりの中で、自分の当たり前が揺さぶられたときだけです。マネジメントという仕事が特別なのは、この「器」の成長を、否応なく引き起こす仕事だからです。
この「器」の成長には、一つのシンプルな法則があります。自分を中心にした見方が縮むほど、見える世界は広がる、という法則です。新人の頃は、自分の評価、自分の成果、自分の立場が、世界のほぼすべてでした。マネジャーになると、否応なく、部下の事情、上司の事情、他部署の事情まで、視界に入ってきます。自分中心の輪が小さくなるほど、皮肉なことに、見える景色はどんどん広くなっていくのです。
もう一つ、大事な事実があります。成人発達理論を研究する人たちは、コーチや支援者が他者を導けるようになるには、その人自身の器がある程度育っている必要がある、と指摘しています。器が育っていない支援者は、相手の話を聞いているつもりでも、実は自分の思い込みというフィルターを通してしか、相手を見ることができません。
これは、マネジャーにもそのまま当てはまります。あなたが部下の話を聞くとき、実際には次のようなフィルターを通して聞いています。自分はこういう人間だという思い込み(自己イメージ)、相手はこういう人間だという決めつけ(他者イメージ)、この状況はこういうものだという解釈(状況の解釈)、いま自分が何を感じ、何を求めているか(動機や感情)、相手にこうあってほしいという期待。この五つの色眼鏡を通したまま話を聞くと、部下の言葉は、あなたの思い込みに都合よく編集されてしまいます。
だからこそ、人を導く前に、まず問うべきは「相手をどう変えるか」ではなく、「自分はいま、どの色眼鏡を通して相手を見ているか」です。これは一度身につけて終わりの技術ではありません。関わるたびに、繰り返し問い直す習慣です。
人を導くという仕事は、きれいごとだけでは済みません。感情がぶつかる場面、意見が対立する場面、信頼を一から積み直さなければならない場面——そうした瞬間が、必ずやってきます。
こうした局面で、私たちはたいてい、まず自分の感情に気づかされます。苛立ち、焦り、失望。これらの感情そのものは、悪いものではありません。問題は、その感情に振り回されたまま、部下に向き合ってしまうことです。
感情の扱い方を学ぶというのは、感情を消すことではありません。自分がいま何を感じているかに、一歩引いて気づけるようになることです。「自分は今、苛立っている。それはなぜだろう」――そう問い直せるようになったとき、あなたは、感情に飲み込まれる代わりに、感情を、次の一手のための材料として使えるようになります。
対立もまた、避けるべきものではなく、信頼を築き直す機会になり得ます。意見がぶつかったとき、相手を説得することだけを目的にするのではなく、「なぜこの人は、こう考えるのだろう」と、一度立ち止まって想像してみてください。それもまた、自分の物差しを一歩退けて見る、という行為にほかなりません。そこから見えてくるものが、次の信頼の土台になります。
そうした局面をくぐり抜けるたびに、自分の物差しは、少しずつ書き換えられていきます。
これらの経験を積み重ねていくと、あなたの中で、少しずつ何かが更新されていきます。たとえるなら、あなたのものの見方を支えている、目に見えないOS(基本ソフト)が、書き換わっていくようなものです。
OSが書き換わるきっかけは、研修でも読書でもありません。自分の当たり前が、人との関わりの中で揺さぶられたときです。
人を導くという経験は、あなたのOSを、一回きりで完成させるものではありません。何度も、少しずつ、書き換え続けるものです。そしてそのたびに、あなたが見える世界は、少しずつ広くなっていきます。
ここまで、人を導く経験があなた自身を変えていく様子を見てきました。最後に、その変化の先にある、報酬の話をしましょう。
プレイヤーだった頃、あなたの喜びは、おそらく「認められること」から来ていたはずです。成果を出し、評価され、褒められる。これは、心理学者アブラハム・マズローが「承認欲求」と呼んだものに近い喜びです。
マネジャーになり、人を導く経験を重ねていくと、この喜びの中心は、少しずつ移っていきます。自分が認められることよりも、部下が育ち、成果を出せるようになっていくことに、深い満足を感じるようになる。これは、マズローが「自己実現」と呼んだ、もう少し奥から来る喜びです。第9章で抱え込みを手放し、第10章で存在で証明するという価値観を手に入れたとき、その移行は自然と起きてきます。
難しい学説の話をしたいわけではありません。あなたにも、きっと心当たりがあるはずです。自分が褒められた時とは違う種類の、じんわりとした嬉しさ。部下が一人で乗り越えられるようになった瞬間に感じる、あの手応えです。
ただ、ここで一つ付け加えておきたいことがあります。ここまで読んで、「では、理想のマネジャー像に、自分を近づけなければならないのか」と思われたかもしれません。そうではありません。
前作で、私たちは「正しさの罠」という考え方を紹介しました。自分の正しさへの確信が、他者への過剰な介入を生む、というものでした。この本の第9章では、その執着が今度は自分自身に向かい、抱え込みを生むことも見てきました。
成人発達理論を研究してきた専門家たちが、口を揃えて念を押すことがあります。それは、「相手を測ろうとする前に、まず自分の物差しを疑え」ということです。器の成長に、優劣はありません。「まだ育っていない人」「もう育った人」という線引きは、それ自体が、誰かを傷つける道具になり得ます。この本でも、同じ姿勢を大事にしたいと思います。マネジャーとしての「あるべき姿」を一つ設定して、そこに部下を、そして自分自身を当てはめようとすることこそが、避けたい罠なのです。
第11章の最後に、私たちが伝えたいのは、その延長線上にある、もう一つの手放しです。誰かの理想のマネジャー像を、演じなくていい。世の中には、無数の「良いマネジャー」の型があります。カリスマ型、傾聴型、放任型、伴走型。そのどれか一つが正解というわけではありません。
あなたには、あなたの強みと弱みがあります。弱みは、チームの力を借りて補えばいい。すべてを一人で完璧にこなす必要はありません。自分の持ち味を理解し、チームと補い合いながらつくっていく。それが、あなたらしいマネジメントです。誰かの正解をなぞる仕事ではなく、あなた自身の答えを、少しずつ形にしていく仕事なのです。
少し逆説的な話をします。
プレイングマネジャーだった頃、あなたの価値は、「自分がいなければ回らない」ことによって証明されていました。けれど、ここまでの旅を経てきたあなたにとって、本当の喜びは、その逆にあります。
チームが、あなたがいなくても、きちんと機能する。部下が、あなたに聞かなくても、自分で判断できる。それは、あなたが不要になったということではありません。あなたが積み重ねてきた関わりが、ちゃんと実を結んだ、という証です。
それは、寂しさではなく、深い喜びです。
人を導くことで、あなたは変わりました。そして、あなたが変わったことで、あなたのチームも変わりました。この相互の変化こそが、マネジャーという仕事の、いちばん深いところにある報酬です。
次の章では、この変化の先に、あなたの人生そのものにとって、マネジャーという仕事がどんな意味を持つのかを、一緒に考えていきます。