経営戦略論の「ポーター vs バーニー」二項対立は50年で限界に達した。琴坂将広が示す4つの新潮流(行動戦略・多層的境界・制度戦略・AI)は、HR実務家にとってタレントマネジメントの前提が根本から変わることを意味する。人事が単純化・標準化に逃げてきた歴史への問い直しを軸とする書評論考。
「経営戦略論は役に立たない」—この批判は実務家のあいだで長く共有されてきましたが、その正体を丁寧に見ると、問題は学問そのものよりも研究者と実務家の根深いズレにあります。琴坂将広先生の新著『経営戦略の進化〈理論編〉』(東洋経済新報社) は、ミンツバーグの5つのPを補助線にこのズレを描き出したうえで、ポーター vs バーニーという50年続いた二項対立の先に広がる4つの新潮流—行動戦略・多層的境界戦略・非市場/制度戦略・アルゴリズムとロボティクスによる新時代—を体系的に整理した一冊です。今回のNewsletterでは、二大理論が残してきた空白の正体、4つの新潮流がそれぞれ何を埋めようとしているのか、そして人事プロフェッショナルが問い直すべき3つの前提について書きました。「複雑系としての組織を複雑なまま把握する」という命題が、人事の単純化志向にどんな問いを突きつけるのかも考えています。
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created: 2026-05-26
updated: 2026-06-14
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経営戦略論は役に立たない—この批判は、実務家の間で長く共有されてきた。しかし、その批判の構造を丁寧に見ると、問題は経営戦略「論」そのものではなく、研究者と実務家の根深いズレにある。
琴坂将広は新著『経営戦略の進化〈理論編〉』(東洋経済新報社, 2026) で、このズレをミンツバーグ (Mintzberg, 1987) の5つのP [1]を補助線に鮮やかに描き出す。実務家が「戦略」と言うとき、頭にあるのはPlan—これからどう動くかの行動指針である。一方、研究者が「戦略」と言うとき、関心の中心はPattern—過去の行動の事後的な整理である。プランを求める人に過去のパターンを差し出せば、「役に立たない」と言われるのは必然であろう。
だが問題はズレだけにとどまらない。経営戦略論そのものが、半世紀にわたる二項対立に囚われてきたことが、この学問の停滞を招いたと著者は論じる。
マイケル・ポーター (Porter, 1980)[2]は産業組織論 (SCP理論) をベースに、企業の利益は業界構造で決まると主張した。Five Forces、戦略グループ、移動障壁—1980年代の経営戦略論はポーターの知的帝国であった。
これに対してジェイ・バーニー (Barney, 1991)[3]は、同じ業界にいても業績に差がある事実に着目し、競争優位の源泉は企業内部の経営資源にあるとする資源ベース理論 (RBV) を体系化した。価値があり (Valuable)、希少で (Rare)、模倣困難で (Inimitable)、組織的に活用可能 (Organized)—VRIOフレームワークは今も多くのMBAの教室で教えられている。
外部か内部か。ポジショニングかケイパビリティか。この二項対立は理論的な豊かさを生むと同時に、大きな空白を残した。どちらの理論も、抽象度が高すぎて実証が難しく、実務家が明日の判断に使える処方箋を提供できなかった [4]。バーニー自身が「戦略について書かれた本の数だけ定義は存在する」と認めたように、この学問は定義すら収斂しないまま21世紀を迎えた。
琴坂が本書の核心として提示するのは、2010年代以降に本格化した4つの研究潮流である。これらは「外部vs内部」の二項対立が見落としてきた空白を、それぞれ異なる角度から埋めようとする。
第一の潮流:行動戦略 (Behavioral Strategy)。 認知バイアスと感情が戦略的意思決定を歪めるメカニズムに焦点を当てる。ここで注目すべきは、問題が「個人の非合理性」で終わらない点である。組織レベルの処方箋—意思決定プロセスの設計、情報の構造化、異論を安全に表出させる仕組み—が研究の中心にある。たとえば構造化面接 (Structured Interview) は非構造化面接に比べて予測妥当性が約2倍に達することが繰り返し示されており (Schmidt & Hunter, 1998, r=.51 vs .38)[9]、「面接の達人」という属人的な眼力がいかに脆い基盤であるかを裏づける。この潮流がタレントマネジメントに突きつける問いは明快である。「誰を要職に就けるか」の答えは、候補者のスキルだけでなく、選ぶ側の認知的偏りによって決定的に左右される。
第二の潮流:多層的境界戦略 (Multi-layered Boundary Strategy)。 企業の境界は「内部」と「外部」の二者択一ではない。エコシステム、プラットフォーム、コミュニティという3つの中間構造が、独自の競争優位を生む。琴坂が本書第8章で注目するのは、ダイアー (Dyer, 1996) らの関係ベース理論 (Relational View) が切り拓いたこの領域で、日本の系列・企業集団が西洋の理論化に先行する実践例を提供してきた事実である[10]。トヨタのサプライヤーネットワークが「囲い込み」ではなく「知識共有による共進化」として機能してきたことは、関係特殊的投資の典型例として繰り返し引用されてきた。「ガラパゴス」と揶揄されてきた日本の中間構造が、実は理論の先駆だった。HR実務の観点から見れば、この潮流は「社員か外注か」という二分法の限界を突きつける。
第三の潮流:非市場・制度戦略 (Non-market / Institutional Strategy)。 ゲームのルールの中で競争するのではなく、ゲームのルール自体を書き換える。ポランニー (Polanyi, 1944)[5]は『大転換』で、市場が社会に埋め込まれた状態から「脱埋め込み」されて自律化すると、社会の側が自己防衛のために規制や制度を生み出す—このダブル・ムーブメントが近代史を貫く力学だと論じた。制度戦略はこの力学を企業の側から能動的に操作する試みである。なぜ今これが切実かといえば、AI規制がまさにダブル・ムーブメントの渦中にあるからである。EU AI Actをはじめ各国の規制フレームワークが社会の自己防衛として立ち上がるこの流動期、ルール形成プロセスへ先んじて関与できる制度的起業家は、確定後に適応を強いられる企業に対して構造的な先行者優位を持つ。
第四の潮流:アルゴリズムとロボティクスによる新時代。 本書が最も大胆な問いを投げかけるのはここである。生成AIの登場により、経営戦略論が暗黙の前提としてきた「戦略を策定し実行するのは人間である」という命題が揺らぐ。琴坂はこれを自動化-拡張パラドックスと呼ぶ。AIに任せれば効率は上がるが、人間の判断力は退化する。かといって人間だけに頼れば、AIが生む莫大な情報処理能力を活かせない。この緊張関係の最適解は、一般的な「ベストプラクティス」ではなく、組織ごとの個別最適解にしかならない。
ここで私が想起するのは、江崎貴裕が『INFRA MECHANISM』(2026)[6]で指摘した「均質化のメカニズム」である。生成AIというインフラは、ビジネス・文化・思考を強力に均質化する。均質化に抗い、固有の競争優位を維持するには、AIの一般解をそのまま実装するのではなく、自組織の文脈に埋め込む設計力が問われる。
この4つの新潮流は、HR実務の前提をどう変えるか。私は以下の3点が特に重要と考える。
1.タレント評価の再設計。 行動戦略の知見は、評価者側の認知バイアスこそが配置の質を決めることを示唆する。具体的な介入としては、タレントレビュー会議へのDevil's Advocate (意図的反論者) の配置、評価基準の事前アンカリング、複数の独立評価を統合するパネル方式などが挙げられる。「優秀な人材を見抜く眼力」への依存から、評価プロセスの構造設計へと重心を移すことが求められる。
2.組織の境界の再定義。 多層的境界戦略は、「社員vs外部人材」の二分法を超えるよう迫る。エコシステム・パートナー、プラットフォーム参加者、コミュニティ・コントリビューターを含めた「拡張された人材ポートフォリオ」を設計するには、戦略プロジェクト単位で外部専門家を招く「アソシエイト型」接続や、内部スキルマップを公開して越境コラボレーションを促す「プラットフォーム型人材台帳」のように、雇用契約の外側まで人材の流れを意図的に設計する視座が欠かせない。人事部門のスコープが企業の内側だけで完結する時代は、理論的にも実務的にも終わりつつある。
3.「複雑さの活用」という発想転換。 本書の最終章で琴坂が投げかける命題—「複雑系としての組織を複雑なまま把握・理論化・最適化する」—は、人事が長年行ってきた「単純化して管理する」アプローチの根本的な否定である。ジョブを定義し、等級で序列化し、一律の制度で統治する。この単純化のパラダイムは効率的だったが、AIが複雑な情報を扱えるようになった今、むしろ複雑さを縮約せずに保持したまま、個別最適な意思決定を支援する方向へ転換する余地が生まれている。実装の起点として現実的なのは、標準グレード制度を保ちつつ、配置・育成の意思決定フェーズにAIによる適合度シミュレーションを組み込む二層設計だ。「人を型に当てはめる」評価から「その人固有の適所を探索する」評価へ、AI支援を梃子に段階的に転換できる。
経営戦略論は、軍事戦略に起源を持つ[7]。古代ギリシャの「ストラテゴス」から孫子の兵法、クラウゼヴィッツの『戦争論』を経て、チャンドラーやアンゾフがビジネスに移植した。安斎勇樹が『冒険する組織』(2026)[8]で指摘する通り、私たちのビジネス用語—戦略、戦術、兵站、VUCA—の多くは軍事由来であり、「会社=軍隊」というメタファーが組織観の根底に染み込んでいる。
琴坂の4つの新潮流は、この軍事的メタファーの限界をも暴く。市場を「戦場」と見なし、競合を「敵」と呼び、シェアを「奪取」する世界観では、エコシステムの共創も、ルールの共同設計も、AIとの協業も、うまく語れない。
複雑さを縮約するのではなく、複雑さと向き合う。それが、ポーターとバーニーの先にある経営戦略論の景色である。
琴坂先生の前著『経営戦略原論』(2018) を読んだのは、自分がコンサルタントとして「戦略」という言葉を日常的に使い始めた頃であった。当時、ポーターとバーニー以降の展開が体系的に整理された本が少なく、もどかしさを感じていたのを覚えている。8年越しの続編にあたる本書は、その空白を4つの新潮流という軸で見事に埋めてくれた。理論編に続く実践編の刊行が楽しみである。
[1] Mintzberg, H. (1987). "The Strategy Concept I: Five Ps for Strategy." California Management Review, 30 (1), 11-24.
[2] Porter, M. E. (1980). Competitive Strategy: Techniques for Analyzing Industries and Competitors. Free Press.
[3] Barney, J. B. (1991). "Firm Resources and Sustained Competitive Advantage." Journal of Management, 17 (1), 99-120.
[4]琴坂将広 (2026).『経営戦略の進化〈理論編〉』東洋経済新報社.第6章「SCP理論・資源ベース理論の抽象度の高さと実証困難性」
[5] Polanyi, K. (1944). The Great Transformation: The Political and Economic Origins of Our Time. Beacon Press.
[6]江崎貴裕 (2026).『INFRA MECHANISM—生成AIが変える世界を紐解く 時代を生き残るための7つの戦略』ソシム.
[7]琴坂将広 (2026).前掲書.第2章「経営戦略前史」
[8]安斎勇樹 (2026).『冒険する組織のつくりかた—「軍事的世界観」を抜け出す5つの思考法』テオリア.
[9] Schmidt, F. L. & Hunter, J. E. (1998). "The Validity and Utility of Selection Methods in Personnel Psychology." Psychological Bulletin, 124 (2), 262-274.
[10] Dyer, J. H. (1996). "Specialized Supplier Networks as a Source of Competitive Advantage: Evidence from the Auto Industry." Strategic Management Journal, 17 (4), 271-291.琴坂 (2026) 前掲書 第8章「関係ベース理論」も参照.